映画「愛を読むひと」とベルリンの朗読者
自分へのご褒美とは、最近よく使う言葉だが、私の場合、それは、長編小説読みだすことや、歌舞伎や芝居、映画や展覧会を見ることや旅行に出ること。
個展も無事始めることができ、ようやく精神的にも余裕ができたので、今日久しぶりに映画を観に行った。かねてから原作『朗読者』を読んで、映画化を待ちわびていた映画「愛を読む人The Reader 」http://www.aiyomu.com/
ドイツでは、今年2月公開。50年代から90年代のベルリンが舞台。今のアウシュビッツ、ナチスの収容所も出てきた。ドイツ語が聞けると思ったら、全部ドイツ語なまりの英語で、なんか変な感じだったが、心に染みるきれいな映像と深い内容。
「ベルリンは破壊と再生を3度も繰り返し、まるでトロイのようだ」監督の談話で読んで、なるほどとおもった。作中にもオデッセイアやトロイの話が出てくるし、工事中の街がいつの時代にも出てくる。
一昨年ベルリンに滞在してSSナチス親衛隊跡地やユダヤ人墓地をみたり、旧東側のトラムにのったり、ネオナチの落書きを見たり、戦前からのこるビルをホテルにしたところにも泊まったため、映像がリアルに自分に迫ってきた。13年前いったベルリンの壁崩壊の現場と再建風景も思い起こした。
映画では、矛盾だらけの感情や、出来事が主人公を翻弄する。それとベルリンの町全体がだぶる。
21歳も離れた純愛というのも、ハンナの歳になった今、ありえると思う。
男と女の出会いは、偶然だけど必然。単に若い肉体に魅かれただけの行為ならば、吐き捨てるほどあるけれど、それを通して秘密の悲しみと向き合っていたことを後でわかると切ない。
そして、少年が朗読者となり読む作中小説の引用と、作品がどうからんでいたのか、あとから気がつく。もういちど見て、そのあたりを再確認したい。
ドイツを旅すると、第二次大戦をどう受け止め、反省し、再検証するのかを国民が真剣に取り組んでいるのを感じる。それはまた日本の過去の戦争への態度とはまるで違うことを知ることにもなる。靖国神社や明治神宮のの資料館と、広島長崎の原爆資料館、沖縄のひめゆりと比べてみてもわかるように。いまだに残る曖昧さ。
映画「父と暮らせば」では、被爆の後の残された家族の苦しみを描いていた。
生き残ったことへの罪悪感。ひいては、その歴史の上に今、平気で楽に生きている私。
罪と罰、愛と性、親子と家族さまざまな視点。
最後の裕福なアメリカのユダヤ人の家族の写真の横に置かれたお茶の缶は、その矛盾の象徴でもある。
もう一度原作を読み返したくなった。
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コメント
この映画がよくわかりません。教えてください。
裁判ではみんな冤罪だって知ってるのに、終盤では本を読んだ人は彼女が重ーい罪を犯したと思い込んでしまっている。
生き残った娘も、責任者の顔は覚えていなくて、本を読ませる変な人は覚えているのだから、その変な人が責任者でないことを知っているはずなのに・・・。
「彼女を許すようでお金は受け取れません」といいました。
そんなに怒りが強いのなら、なぜ裁判のときに他の被告人を許したのでしょう?
主人公も面会のときに「たっぷり反省したか?」というような意味の問いかけをしていますが、冤罪のひとには普通は「大変だったね、お疲れ様」ではないでしょうか?
なんだか変な物語です。
投稿: とおりすがり | 2009年7月 9日 (木) 08時16分
コメントありがとうございます。
厳密にいえば、主人公の女性は、冤罪ではないのです。
彼女が、文字が書けない、読めないということは、映画では、だんだんにわかってくるようになっています。
裁判の途中で、サインをした責任者ということで、被告人たちが、みんな認めています。そして、文書が残っているので、サイン確認をされます。そこで、ためらう彼女をみて、はっきりわかるのです。
どんな経緯で、SSナチのの責任者になったのかは、映画ではわかりませんが、彼女の名前がサインされているということは、何ものかがしたということですよね。
そこで冤罪ということを思うのでしょうが、彼女以外は、それを知りません。
ただ、事実として、上からの命令で、収容されたユダヤ人を定期的にガス室送りにしていたし、教会にユダヤ人を閉じ込めて、火事にあっても扉を開けなかったので、その責任を問われますよね。被告たちがやったことですが、責任者が一番重い罪になるのは当然なのです。
ユダヤ人の生き残りの娘さんが、最後にいう「でも許さない」ということは、他の被告人も懲役刑を受けているので、許してるわけではありません。むしろ、もっと大きな意味で、ナチのドイツ人を永遠に許せるわけではないということにつながっています。
面会の時の態度は、複雑。なぜなら、男が贈ったテープがきっかけで、彼女が独学で何年もかかって、読み書きができるようになった。それが生きがいになる。そして、必死で、何度もつたない手紙を書くのに、返事をよこさなかった。なぜでしょう?
男は、「裁判官」という職業です。そして、彼の固く閉ざされた心(娘がパパは、本心をださないいといいますよね)があるからでしょう。きっと本心は、「お疲れ様」といいたかったでしょう。彼女の死を知っての、慟哭がそれを表現していると思います。
少しは、映画理解のお役にたてましたか?
ぜひ原作も読んでみてください。
私は、小説は、ずいぶん前に読んだから、映画は、新鮮でした。でも、
もう一度確認したいところが映画も、小説もあります。
ところで、私は、二人が自転車で旅行をする景色が一番素敵だと思いましたよ。今でも、ドイツの田舎はああいう景色です。
投稿: やっち | 2009年7月12日 (日) 08時30分