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フェチとSとM

 中学生の、娘が、夕食時に、「父って足フェチでしょ?私は、首と声フェチなの。今日学校で、その話題が出て、髪とか、足首とか、指とかみんな言ってて、担任の先生に聞いたら、しばらく困って考えていて、僕は、指の関節部分かなあっていったよ」

と、言い出して、吟醸酒を吹き出しそうになった。

 しかも、そのあと、小学生の弟が、「友達にこんなこと言われて、心が傷ついた」と話をすると「お前さあ、Mなんじゃない?」とのたまわった。

 中学生では、それらの単語は、フツーの話題だとか。ドMやドSという単語もあるらしい。

「で、ママのフェチは?」と聞かれて、「まずどこ見ちゃうか、どこでそそられるかってところ?」と聞くと、娘は、「まあそうね」という。

 個展用にヌードの絵を描いていて、美しい男女の姿で、気にするのは、曲線。

男性の筋肉、ひげ、すねなどやはり女性にはない違いがわかる部分。

生きている人は?と聞かれれば、「背骨」かな。

立ち姿が、凛としている人が好き。生き様がでるでしょう姿勢には。

緊張感のある姿が好き。

それと、日常とのギャップを知ったとき。

そんなことをたらたらしゃべりだしたら、いつの間にか、娘は、食卓にいなくなっていた。

「ようするにママは、顔じゃないのね」だって。

母をいじめるなんて案外娘はSかも。

 

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今昔物語の恋に泣く

 今日、連休最終日は、NHK文化センター盛岡教室の「古典文学を読む~声に出して楽しむ名歌名文」のテキストを作っていた。日本古典全般から、興味深いものをわたしの独断で選んでいく。大学院は古代文学の万葉集で論文を書いていたけれど、ずっと、近代の賢治や龍之介、基次郎、近世の江戸読本、中性の風姿花伝、中古の源氏物語、歌論書、漢文白楽文集などなどかじってきた。それでも、まだまだ1300年の歴史の中では、読んでいないもののいっぱいあって、本屋で見つけては、注釈書をあれこれいまだに買いこんでいる。(だからひどい散らかりようのアトリエ)

 ところで、今回は、今昔物語の本朝世俗部。おもしろいお話が満載のこの書だが、前に、プレイボーイ平中の思い女の便器を盗む話をやった。流れるような簡潔な話し言葉、情景や心情を率直にいう文章が気にいっている。

 巻の30に、こんな話がある。京のある高貴な女のもとに通っていた男がいたが、女の両親が死に、女が男に、もっとお金持ちの女のもとへ行けと別れ話を持ち出す。泣く泣く二人は別れるが、巡り巡って、女は、郡司の妾になるが、下女として雇われ、ある日お客として国司に見染められ、席に呼ばれる。身なりを整えて、一人やってきた女は、品があり、美しい。

 国司は、抱くがそれがいかにもなじみ深い体。男は、はたと、この女が、自分が若いころ通っていた京の女と気がつく。そして、それを女に告げると・・・・。

 わたしは、原文を読みながら、女の気持になり、はらはらと泣いていた。

自分でもびっくりするくらい悲しかった。

堀辰雄が「廣野」という作品で、この話をリメイクしているので、早速それも読んでみた。拾遺和歌集から冒頭に引用がある。

 忘れぬる君はなかなか辛からで 今まで生ける身をぞ恨むる

読み人知らずのこの和歌を選んだ堀のセンスもいい。この一首が作品全体を凝縮している。

 今昔の原文は、女が、近江の海の波の音を何の音だと問うたのに、男が答えて、

  これぞこのつひにあふみをいといつつ 世にはふれどむいけるかひなし・・・・・・・ (これは近江。逢う身をさけて互いに過ごしてきたけれど、それでは生きている甲斐がない)

と詠む。これは、身分の高くなった男の言い分。でも女はそれを聞いたら・・・。

男女の事情は、それぞれあろうが、本当に好きだった相手が、思わぬ境遇で再会した時の、うれしさとせつなさと悲しみ。

 さて、結末はいかに。どうぞNHK文化センター5月8日10時からの講義です。見学大歓迎!でも私は、また涙してしまうかもしれませんが、許してね。

 

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